
あしおトロッコ館の屋外展示の車輌群の続きです。ここには各種の車輌が約40輌ほど集められていますが、大部分はボロボロの状態か、廃車廃棄状態で引き取られているため、多くの車輌にはカバーがかけられたり、半解体や解体の状態で部品が転がっているとかの状態になっています。
ガイドさんの話では、これらの車輌を順次レストアして現役当時の姿に戻し、動態復元が可能なものはエンジンなどを蘇らせる作業も行なう方針でやっているそうで、さきに見たガソリンカーや機関車の動態復元もその一環であるということでした。
なので、上図の、元は牧場で使われてたらしいバケット車も、綺麗に塗り直されて、表に置いて展示されています。

こちらは、レストアされたばかりの加藤製作所3トンガソリン機関車です。これも岩手県花巻市の建設会社「伊藤組」で使用されていたもので、これももとは軌間508ミリであったのを、こちらへの寄贈後に、敷地内軌道にて走らせられるように610ミリに改めています。これもいずれは動態運転される計画であるそうです。

その説明板。製造年は1941年頃とあり、つまりは太平洋戦争が始まった頃に造られたことになりますが、綺麗に整備されたためか、そんなに古い機関車には思えませんでした。

操作機構やモーターは復元工事を終えているようでしたが、その上にかかるカバーや操縦席まわりの備品類がまだ組み入れられていませんでした。それで操作機構がよく見えるので、嫁さんが興味津々で覗きこんでいました。

こちらは東京に今も本社を置く田中土建工業が製造した3トンガソリン機関車です。これも岩手県花巻市の建設会社「伊藤組」で使用されていたもので、これももとは軌間508ミリであったのを、動態運転に向けて610ミリに改めています。
ちなみに田中土建工業は戦争中の昭和18年に元首相の田中角栄が創立した会社であるそうです。それを聞いた嫁さんは驚いていました。

次に嫁さんが興味を示していたのが、この赤い4トン蓄電池機関車でした。東芝車輌が1950年に製造したもので、小田急電鉄の向ヶ丘遊園駅と向ヶ丘遊園を結ぶ連絡鉄道の機関車として使われたものです。
現在はまだ修理中で、赤色も錆止めの下地塗装であるそうで、いずれは動態復元される計画であるそうです。

その隣には、レストアされて動態保存されている、もと福島県いわき市の八茎(やぐき)鉱山の新八茎鉱山株式会社が運用していた10トン電気機関車がありました。黄色く塗られたパンタグラフを載せており、坑道内軌道にて石灰石、灰重石(タングステン鉱石)や銅鉱石、鉄鉱石などの運搬に使われたそうです。

嫁さんはこの機関車にも興味を持ったらしく、説明板を探していて、反対側に付いているのを見つけていました。

その説明板。日本輸送機が1960年に製造したとあります。これも京都生まれの機関車なのかー、と表面をなでていた嫁さんでした。

その運転室を見ました。レストアされて綺麗に整えられていました。これも動態復元を終えているそうで、ハンドルがロープにて固定されていました。

その向かいには、グランピー鉱車が2輌置いてありました。バケットを横に傾ける機構が付いており、レストア待ちの状態であるそうです。かつて岡山県備前市の土橋鉱山にて使用されたものだそうです。

その銘板です。製造元は現在も鳥取県倉吉市に本社を置く神鋼機器鉱業です。現在はLPガス容器や産業用圧力容器、バルク貯蔵容器などのメーカーですが、昔は鉱山鉄道用のバケット車も造っていたことが分かります。

最後に、ガイドさんが「バケットローダーの動きをお見せしましょう」と上図のバケットローダーのエンジンをかけ、バケットが持ち上がって車体の上を通って後ろの貨車に荷下ろしするまでの一連の動作を実演してくれました。
嫁さんはもちろん、私もバケットローダーが動くのを初めて見て、そうやって掘り出した鉱石を後ろの貨車に運んで積むのか、と理解しました。ゴゴーッという凄い音を立てていましたが、坑道内で聞いたら相当の騒音だな、と思いました。

その説明板。これも福島県いわき市の八茎鉱山の新八茎鉱山株式会社が運用していたのを寄贈されたことが分かります。

銘板も御覧のように立派な造りのものでした。海外メーカーの銘板みたいに見えました。 (続く)