
粟生駅の3番ホームに停まったキハ40形。いまの北条鉄道を牽引する看板車輌です。鉄道ファンからの注目度も高く、この日の乗客の半分ほどは、いかにもテツと分かる方々でした。

車体側面の車輌形式番号。キハ40の535号機です。昭和五十四年(1979)に新潟鐵工所にて製造され、JR東日本の弘前運輸区などに所属し、奥羽本線、花輪線などで活躍、晩年は秋田総合車両センターに属して、五能線で令和三年(2021)3月まで運用されていた車輌です。
キハ40形は、1977年から1982年にかけて392輌が造られ、全国各地のローカル線で活躍しました。JR西日本の管内では姫新線、吉備線、津山線などで現在も走っていますが、東日本の管内ではほとんど残っていないそうです。
なので、この車輌をよく探して持ってきたものだなと感心しますが、クリーム色がかった白と青の車体も国鉄時代からの稀少なデザインであるそうです。それらも鉄道ファンのノスタルジーを誘い、いまも各地から乗りにやってくるほどです。

キハ40-535のサイドボード。北条鉄道の区間を表しています。

嫁さんが、出入口の扉の左横に付いている、屋根からの水を流す縦樋を指差して「これが付いてるの、キハ40の寒冷地仕様の初期グループ500番台の車輌の特徴なんですよ」と教えてくれました。
さすがに、この車輌が大好きなだけあって、細かいところまでよく知っています。推しの車輌、であるわけです。

「じゃあ、これ製造当初からのオリジナルの状態を保ってる?」
「ううん、資料によるとね、乗降口ドアがね、ドア開閉ボタン式の半自動ドアに改造されてます。あと、エンジンも換装されてるらしいのです。平成四年(1992)のワンマン運転開始に備えてワンマン運転対応に改造してて、その後に冷房装置を追加してるそうですよ」
「ほう、時代の流れに合わせて少しずつ適応させてきてるわけやな」
「そういうことですねえ」

つまり、ワンマン運転対応、エンジン強化、ドア開閉ボタン式の半自動ドア、という地方ローカル線車輌の条件を満たした使い勝手のよい車輌であったわけで、北条鉄道があえてこの旧式車輌を導入したのも頷けます。

中に入る際に、運転席を撮りました。キハ58系とかに比べると割とシンプルですね。

助手席のほうにも何かの装置がセットされていますが、もとからの装備なのか、北条鉄道へ来てからの追加装備なのかは分かりませんでした。

車内の各所の銘板や表示は、北条鉄道に来てから新たに追加されたものを除くと、JR東日本時代のままにとどめられています。

乗降口の上に貼られた路線図も、JR東日本時代の西東北地域のままです。このエリアへの旅行を今年か来年に計画しているため、嫁さんが「これ参考になるわー、行きたい範囲が全部入ってるのですよー」とじっくり見てスマホで撮っていました。

キハ40-535に乗って、終点の北条町駅までの23分を揺られましたが、外の景色はほとんど上図のような水田地帯で、稲がかなり育って水面を覆いつつあったため、一見すると緑一面の草原のようにも見えました。
嫁さんが製作中の小型ジオラマにて、線路の両側に100均の芝生シートを貼りまくっていたのも、実際の景色がこういう感じで芝生みたいに見えるからでした。 (続く)